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BLITZ ブリッツ コアタイプエアクリーナー ADVANCE POWER code42046 トヨタ マーク・ 96/09- JZX100 1JZ-GTE

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 思えば、同志社着任当時、24年程前になりますが、近鉄新田辺駅のバス停には、鉄柱の上に丸い大きな時計が掛けてありました。灰皿やゴミ入れもありました。この3つ、時計、灰皿、ゴミ入れの順に、バス停から姿を消しています。時代の流れでしょう。

 家の中でも見かけなくなったものは多々あります。子供の頃を考えると、半世紀も昔になりますから、当前かもしれません。ダイヤル式の黒電話はありません。長靴は履かなくなりました。ハエたたきもありません。ハエたたきなど、この時代どこにもないだろうと思っていましたが、通販で売られているのには、少し驚きました。

 見かけなくなって寂しく思うものや懐かしい風景をあげてみます。蚊取り線香、線香を横に縁側で将棋を指す風景、火鉢、火鉢で焼くお餅、そこでの主役は祖母、犬小屋とそこの主人(番犬)、道端や空き地で遊んでいる子供達などでしょうか。

 大きく視点を変えて、「憧れの国」も私の中では、なくなってしまっている気がして、少し寂しく思っています。子供の頃見ていたアメリカのテレビ番組、「タイムトラベル」とか、「スパイ大作戦」、「ワイオミングの兄弟」、「奥様は魔女」、少し新しくなって、「大草原の小さな家」、「刑事コロンボ」など。アメリカって、すごいな、どうしたらこのような面白いものが作れるのだろうと、憧れの思いで、見ていました。子供ですから、政治、思想等は抜きにして、多くの面でアメリカは憧れの国でした。

 研究職について、ポスドク(博士研究員)として働く大学は、迷わずアメリカの中から選びました。1994年になります。世界の研究の中心は、アメリカにありました。少なくとも私の研究領域はそうでした。学ぶものが多くありました。9・11同時多発テロが起るまでは、ACS(アメリカ化学会)の年会には必ず参加していました。ACS年会のプログラム構成だけ見ても、世界の動き、これからの研究の方向性が見えてくると思っていました。大きく間違った判断ではなかったと思います。40代前半あたりまで、学術研究では、ここでもアメリカが憧れであり、目標であったような気がしています。

 今、私の中に、生活面でも仕事の面でも、特にこの国という憧れの国はありません。前述のように、それがどこかで寂しい心持ちにつながっているようです。言い変えれば、自分の中に、目標のようなものが見えてこない、お手本がない、追いつきたいというようなモチベーションが保てないということなのでしょうか。

 そして、今は「日本がいいな」と思う気持ちがあることも否定できません。憧れの国がなくなり、自国が一番いいかなと思っている自分が、そう思う対象が限られるにしても、存在しているのです。世界がグローバル化の中で動いているとき、日本がそれに立ち遅れている点も昨今指摘されています。「日本がいい」と思っていることが、日本のグローバル化を抑制している一面があるのかもしれません。「日本がいい」と思えることはとても良いことです。誇らしいことです。しかし、大切なのは、それを肯定するならば、グローバル化を通して、それを世界に展開していく責任を自覚し、実行していくことかもしれません。

20190201

 大寒が過ぎてから2週間ぐらいが一年で最も寒い時季と聞きます。確かに、朝、吐く息も白く、路面が凍っているときもあります。しかし、日は確実に長くなっていますし、日差しもどことなく明るさを感じます。梅がほころび、来月末には桜が満開となることでしょう。そして、5月は新緑の季節となります。多少の遅い早いがあったとしてもほぼ同じように一年が過ぎていきます。季節が移り、一年が過ぎ、それが積み重なって、人の年齢になっていく。その当たり前の一年、一年を、有り難いことと思う年になってきました。

 私は夏が好きです。なぜだかよくわかりません。今は、体力的に決して過ごしやすい季節とは言えません。おそらく、子供の頃、朝から晩まで遊びまわっていた夏休みの思い出に支配されているのでしょう。夏は楽しくてたまらなかった。でも、振り返ると、自分の子供達が小学生であった頃も、一緒に遊んで、楽しい夏を過ごしていました。2度目の楽しい夏ということになります。

 そして、3度目の楽しい夏、すなわち、孫と遊ぶ楽しい夏は、やって来るでしょうか。まあ、こればかりはわかりません。でも楽しみにしています。眩しい夏の日差しの中で、孫たちと3度目の楽しい夏を経験できたら、ひとまず、幸せでしょう。そして、3度目の楽しい夏が終わると、人生もそろそろ店じまいになっていくのでしょう。

 子や孫のことを言うのは、いささかセルフィッシュなところがあると思います。様々なお立場や生活環境におられる方もいらっしゃいます。「not for self」、新島先生が学んだフィリップス・アカデミー高校のスクール・モットーです(Mさんから教えてもらいました)。この心持ちに少しでも近づければと思います。仕事を通してまた退職後はボランティア活動等を通して、家族のみならず次の世代に少しでもお役に立てるよう過ごしていければと、僭越ながら、思っています。

 ところで、この文章を書きながら、ふと、4度目の楽しい夏に、はじめて思いが至りました。ひ孫と過ごす夏です。可能性として否定はできません。どうしてもセルフィッシュな自分から抜け出せません。「not for self」を意識しつつも、血圧をチェックし、体重計にのって、健康を意識する毎日が始まっています。

20190101

 今年は年男です。還暦を迎えました。

 最後の平成の年が始まり、5月には年号が変わります。30年前に、昭和から平成に年号が変わりました。2回目の〇〇元年という節目の年を迎えます。また、来年には、東京オリンピックが開催され、これも2回目になります。幼稚園児の時、園長先生と一緒に、広間で、みんなで正座してオリンピックを見ていました。テレビ映像の記憶としては、黒人選手が、先頭を、一人で走っている姿しか覚えていません。それが、裸足のアベベ選手であったことは、後から知りました。

 さらに、2025年には、大阪万国博覧会の開催が決まっています。こちらも2回目になります。先の大阪万博は小学校4年生のときでした。佐賀から両親と姉、私の家族4人で大阪に出てきて、一週間、堺の伯母の家でお世話になりました。万博の内容がどうこうというより、はじめて九州を離れて、家族みんなで旅行していること、伯父さん、伯母さん、従兄弟たちと一緒に過ごしていることが、嬉しく、楽しかったという万博の思い出です。

 一生の間に、2回の年号変更、2回の東京オリンピック、そして2回の大阪万博という大きな節目と催しを経験することになりそうです。時代の流れと人の移り変わりを感じてしまいます。太平洋戦争を軍人として経験したという園長先生は、園児たちと何を思い、東京オリンピックを見ていたのでしょうか。両親は、何を見せたくて、子供達を大阪万博に連れて行ったのでしょうか。

 時代は変わりつつあります。「投資・拡大・競争」の時代がありました。いや、今も、続いているのかもしれませんし、これからも続いていくのかもしれません。しかし 、この「投資・拡大・競争」の延長上に、自分の一生が終焉すると思うと、いささか落ち着かない不安な気持ちになります。

 5年前、同志社附置研「ハリス理化学研究所」の改称、改組の際、研究所の目指す方向性として クラッツィオ エアー シートカバー ハイエース バン(KDH201 / KDH206 / TRH200) ET-1631 / Clazzio Air、『必ずしも「投資・拡大・競争」の原理に捕われることなく、「育成・創造・切瑳」のなかから芽生えてくるような研究を意識している』と述べさせてもらいました。今思うと、少し、言葉が浮いてしまっている感があります。

 私は、この60年間、昭和の後半と平成の30年を、日本の素晴らしい良き時代だったと思っています。この時代を作り与えてくれた先人たち、はじめて日本でのオリンピックと万博を見せてくれた人たち、そして「投資・拡大・競争」の社会を牽引してきたともいえる人たちが、遠い世界から、「育成・創造・切瑳」の方向性に対して、異を唱えることなく、返って、心底、頷いてくれているような気がします。自分が知ることはない新たな年号の変更、そしてオリンピックや万博を再び日本で迎える可能性があるような次の世代に、「投資・拡大・競争」に変わって「育成・創造・切瑳」が幸せを生む未来社会を残してあげたいと、分不相応ながら、思っています。

20181201

新聞の書籍コラムに紹介があった「超訳ニーチェの言葉」(白取春彦訳)を読んでいます。数時間あれば読み切れる分量ですが、寝る前に、時々、少しずつページをめくっている状況です。

この「超訳ニーチェの言葉」は、1ページの読み切りになっており、190の項目で構成されています。最近、読んだところで気になっているのは、以下の項目です。127番目になります。

127;街へ出よう
雑踏の中へ入れ。人の輪の中へ行け。みんながいる場所へ向かえ。
(省略)
孤独でいるのはよくない。孤独は君をだらしなくしてしまう。孤独は人間を腐らせてダメにしてしまう。さあ、部屋を出て、街へ出かけよう。

私は一人で過ごすのが好きです。「街へ出よう」の内容は、私の日常にいささか反するものなのですが、なぜだか素直に受け止められて、そうしようと思ってしまいます。

ニーチェの言葉の不思議な力は、どこから湧き出ているのでしょうか。私は、学生の時、第2外国語として、ドイツ語を履修しています。ニーチェはドイツ人ですが、原著は、ドイツ語で書かれているということでしょうか。訳者を介さず、原書で読むとどう感じるのでしょうか。ニーチェの考え方にもっと近づくことができるでしょうか。さらにニーチェの思想を知ろうとすると、自分での原著の翻訳だけでは不十分で、ニーチェが育った環境や社会、時代から学ばないといけなのだろうとも思います。しかしながら、今更、原書で読むことも含め、そのようなことができるはずもありません。

訳者は、このようなことを学び、そしてそれらを土台にして、この書物「超訳ニーチェの言葉」を書いているのだと思います。「超訳」というところには、訳者の主観が少し入ってきているとも考えられますが、私は、それは構わないとしています。だから、このような訳本を読むのが、私にとって、ニーチェに近づく、ニーチェを知るための近道であり、また唯一の方法となります。◯◯文学という学問領域の根底にあるものがおぼろげに見えてくるような気がしています。

20181101

 先日、会議の前に GruppeM スーパークリーナー [ゴルフ5 1K 1KBLG/1KBMY 1.4 TSI] グループM エアクリ SUPER CLEANER カーボンダクト 送料無料(代引除く)、W先生とちょっとした雑談を交わす機会がありました。W先生は、ネイティブスピーカーでいらっしゃいますが、とても日本語がお上手です。小さい頃は、お父様のお仕事の関係で、いろいろな国で過ごされたそうです。

 それで、W先生に、
「何ヶ国語を話されるのですか」と聞いてみました。
「英語と日本語の2カ国語です。あとイタリア語が少し」と答えられました。
すると、今度はW先生から、
「先生は、何ヶ国語を話されますか」と聞き返されました。
「え!? 何ヶ国語?」ですって。生まれて初めて受けた質問でした。たいへん戸惑ってしまいました。いったいどこの誰に向かってのご質問なのでしょうか。

 とっさに、
「1.2ヶ国語です」と答えました。W先生は、のけぞって笑っていました。意外とウケた答えのようです。自分でも妙に的を射た数字のように思いました。

 そして、話せる言語の数を、小数点以下1桁まで使って1.2ヶ国語と表したとき、日本語を1.0と暗黙のうちにカウントしていました。W先生も同じだと思います。でも、私の場合、母国語を話していても話の途中でよく「噛み」ます。また、最近は、話しのなかで、「教室会議」、「主任会」、「教授会」等の会議の名称が、ごちゃ混ぜになることもしばしばあります。母国語の日本語であっても、小数点以下の数値まで使うと、0.9あたりでカウントするのが妥当かもしれません。

 将来は、謙虚さの塊になって、1.2ヶ国語の内訳を聞かれたとき、日本語が0.6、英語が0.6と言ってみたいものです。英語は諦めずに日々の努力を続けたいと思います。一方、一日も早い口語翻訳装置の実用化を待っています。「噛んだ」日本語を翻訳できる性能が必要です。

20181001

 10月を迎えました。過ごしやすくなりました。いくら異常気象が続いているとはいえ、2ヶ月前の38度に再びなることはないと思います。今年は、経験したことがない猛暑でした。でも、私は、夏が大好きです。兎に角 【エンドレス/ENDLESS】ブレーキパッド TYPE-R フロント用 カローラ2/ターセル/コルサ/サイノス EL45 などにお勧め 品番:EP076、身軽でいい。布団から出るときに掛け声がいらない。手が荒れることもない。洗い物が楽。洗濯物もすぐに乾く。お盆がすぎると、いつも急に寂しくなります。地蔵盆のころには、早く、来年の夏が来ないかなと、思っています。

 今年は、猛暑を満喫するつもりでいました。しかし、情けないことに、暑さに耐えきれず、体調を崩してしまいました。何という失態をしてしまったことか、悔やんでも悔やみきれません。この体調不良で、8月5日のオープンキャンパス(今出川キャンパス)の業務を休んでしまいました。深く反省しています。

 同時に、これまで「仮病以外の病気はしたことがない」というつまらない冗談を言ってきたことも後悔しています。真っ赤な嘘です。以後、軽口を慎むことにします。

20180901

 早や、9月。スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋です。にもかかわらず、年のせいでしょうか、今年も残すところわずか4ヶ月、2018年ももうすぐ終わると、まずは考えてしまいます。

 私は、1994年1月から1年の間、米国インディアナ大学で博士研究員(postdoctoral researcher)として過ごしました。1995年が電子メール元年と呼ばれていますが、1994年はまだメールが普及していませんでした。帰国後、あっという間にメール通信の時代になりました。

 インディアナにいたとき、日本とのやり取りは、電話と手紙とFAXでした。九州大学に籍をおいていましたが、九大との仕事のやり取りは、FAXだけですんでいました。それもおそらく科研費の継続申請に関して、数回のやり取りをしただけのように覚えています。それ以外、日本からの仕事の連絡はほとんどなく、ポスドクとしての研究だけをしていればいい、研究のことだけを考えていればいいという環境でした。

 今では、一週間の海外出張でさえ、少なくとも10通以上、いやそれ以上のメールのやり取りがあると思います。25年前とは、情報のやり取りが、量とスピードとともに、大きく変わりました。でもなんとかそれにギリギリのところで付いていっている自分が不思議でもあります。

 内閣府のHPには新しい社会Society 5.0が述べられています。狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において、日本が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。Society 5.0は、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより実現する社会ということです。

 このような新しい社会に、またしても自分が付いていけるのか心配しています。しかし、狩猟、

、農耕、工業、情報が関わる部分が社会から全く消え去るものではなく、それらのもとに、AI、I o T、BigDataに牽引される部分が上乗せされてSociety 5.0が成り立つと勝手に解釈すれば、今回もなんとかなりそうな感じもしています。そう思いつつ、Society 5.0に関わりそうなキーワードを使って科研費の申請書が書けないか、毎日、考えているのが現状です。

 そうこうしているうち、申請書の下書きは何も進まないまま、Society 5.0の次に来る未来社会に考えを馳せてしまっています。Society 5.0がどのような社会になるのか未だ理解不十分なところではありますが、私は、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)、そして新しい社会Society 5.0を基盤にしながら、その次の社会として、だれもが経験したことがない新しい農耕社会、すなわち農耕社会(その2)(Society 2.0 Ver.II)を作り上げることの魅力を探り始めました。日本の風土も日本人の気性も農耕社会に適していると思います。

 退職したら、田舎に帰り、Society 5.0の世の中にあって、一人、農耕社会(その2)(Society 2.0 Ver.II)の具現化に挑戦するのも面白いかもしれません。農耕社会(その2)は、今までの投資、拡大、競争の価値観を一変させ、かつ今までの幸福度とその対象も残しつつ、人間本来の幸福感を再び呼び戻し、きっと皆を幸せにしてくれると思います。

 空想・迷走は、この辺りまでとし、現実に戻って、科研費の申請書を書き始めます。

20180801

6月に地震、7月に大雨と猛暑、そして台風。8月は、静かにお盆を迎えたいと思っています。

 漱石の「坊ちゃん」を久しぶりに読み返しました。お手伝いさんの清が、いつも印象に残ります。小説の中にあって、清が影の主人公ではないかと思っているぐらいです。第1章のおわり、坊ちゃんが四国に旅立つときの清と別れるところは、取り分け印象的です。

 『車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。』  坊ちゃんは、お兄さんとは仲がよくありません。お母さんには、亡くなる3日前に顔も見たくないと言われてしまいます。お父さんにも勘当されかけます。坊ちゃんは、家の中でつまはじきにされている感がありました。しかし、今回読んで、次のくだりに目が止まりました。第4章です。

 『おれは小供の時から、よく夢を見る癖があって、夢中に跳ね起きて、わからぬ寝言を云って、人に笑われた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾った夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がって、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢で尋ねたくらいだ。その時は三日ばかりうち中の笑い草になって大いに弱った。』

 坊ちゃんの夢の話で、三日間も笑いに包まれる家族、なんと素敵な家庭ではないでしょうか。家族一人一人が正面から向かい合っているから、先に述べたように、時にぶつかり合うこともあるのでしょう。しかし、このくだりを読むと坊ちゃんの家族は、和を持った理想の家族に見えてきます。

 研究室を振り返ると、学生さんと正面から向き合う機会が少なくなったように思えます。メールで事を済ませることも多くなりました。便利で効率が上がっているのかもしれません。しかし、正面から向かい合うことによって、ぶつかり合いから見えてくる真実や楽しさの機会は、年々減ってきているようです。このような時代だからこそ、もう少し"人間臭さ"が、研究室にあってもいいのかもしれません。難しいところです。

 私は家族とメールをやり取りすることはありません。私を除いた「LINE」が組まれていて、それで事が足りているようです。

20180701

 先日、次男の成績表が大学から送られて来ました。妻が、丹念に見ています。私が「どうだった?」と聞くと、妻が「何が?」と聞き返すので、「成績だけど」と言いました。すると、妻は「成績なんか見ていない」と言います。私は、長年の経験から得たビッグデータと自ら身につけたディープランニングを機能させ、これ以上の会話は、危険特区に突入すると判断しました。危機管理の徹底です。

 私は、心の中で、"成績表を見ているのだから、ABC評価の大体の良し悪しぐらいはわかるだろう"とつぶやきました。妻の心のつぶやきも聞こえてきます。"成績がいいはずなんてないでしょ。それより卒業できるかどうか、単位数が問題でしょ。今更、何いっているの"。妻は、単位数を、繰り返し、ひたすら数えて、確認していました。

 一日経って、落ち着いた頃に、私も成績表を見ました。成績表の内容はさておき、過ぎし時代に思いを馳せました。私の頃は、親が子供の大学の成績を知ることはなかったように思いますし ZR-7・S(01~03年) フロントスプリング ハイパープロ(HYPER PRO)、関心すら持っていなかった感があります。一方、小学校低学年の頃の「通知表」は、半世紀も昔になりますが、懐かしい思い出を呼び起させます。当時の「通知表」には、5段階表示の成績評価に加え、身長や体重などの身体検査の数字、出席・欠席の日数、担任の先生のコメント等が記してありました。1年は3学期制で、終業式で「通知表」を受け取ってその学期が終わり、夏休み等の長期休みに入ります。

 私の家では、休みになると、父親が子供たちに「通知表」を持たせて、祖父の家を訪ねることになっていました。通知表を祖父に手渡す時、どのような会話があったのか、覚えていません。ただ、受け取った私と姉の「通知表」を、祖父が、書机に向かって書き写していたことを覚えています。つけペンを使って、半紙の上に、ほぼそっくりのフォーマットで写していました。私は、祖父のつけペンの使い方を見るのが、面白くて、遊びの途中、時々、その様子を書机に顔をくっつけて覗き込んでいました。祖父は、私と姉の分をそれぞれ2部ずつ書き写します。ほぼ半日がかりの作業になっていました。祖父は、1部を手元に残し、他の一部を遠くに嫁いだ長女(私の伯母)に送っていたようです。

 祖父は、私たちの「通知表」の中身について話すことはありませんでした。とくに目立った成績ということでもなかったのです。しかし、正座のまま「通知表」を書き写す祖父の姿は、間違いなく、ほのぼのとした幸福感に包まれていました。孫が小学校に通うまで成長したことを喜んでいたのでしょう。孫の「通知表」を囲んで、家族みんなが、日々の小さな幸せに満足していた時代だったように思います。

20180601

 先日、ラーネッド図書館内に新しくオープンしたラーニングコモンズを見てきました。土曜日でしたが、窓際のコンピュータが使えるスペースを中心に、学生が、書物やパソコンに向かい合っていました。その姿には、静かさの中にあって、少し張り詰めた緊張感のようなものがありました。学問的好奇心のみならず、将来への夢や希望、そして若さとエネルギーを感じました。正直、少し羨ましくも思いました。

 彼らの将来には、今まで人類が経験しなかったような技術や経済、社会の変化、そしてそれに伴う大きな価値観の変化までもが、待ち受けていると考えられます。彼らは、自らの力で前人未到の世界を切り開いていかなければなりません。このような状況にあって、私にできることは、そのサポートと彼らを温かく見守ってあげることぐらいでしょうか。微力ながら、教育・研究の場を通して、誠心誠意、その努めを果たしていきたいと思います。

 ラーニングコモンズの一部の机の上には、『ドリンクはフタ付きのみ可』と書かれたプレートが置いてありました。昨年の会議のことを思い出しました。ラーニングコモンズ担当の先生から、「『ドリンクはフタ付きのみ可』になりました」と、報告がありました。それを聞いた私は、次の質問をして、失笑を買ってしまいました。「飲み物は、2ヶ月間(ふたつき)だけ、持ち込みが許可されるということですか?」。

20180501

若葉のかおり爽やかな日々です。

 嵐山に出かけ、渡月橋から天龍寺あたりを、ぶらぶら歩きました。最近は、どこへ出かけるにしても、カバンを背負っていきます。ただ、今日は、背負いもせず、手ぶらで歩きました。春うららかなとき、日常のすべてのものから解放されたい気持ちがありました。

 カバンの中には、パソコン、携帯、ペットボトル、手帳、文献、書籍、常備薬、カードケース、等が入っています。職場との行き来以外でも大抵これらを背負っています。時間ができるとパソコンを取り出し仕事を始めます。

 学生時代は、日帰りの行動範囲であれば、ほとんど手ぶらでした。極端すぎたのかもしれませんが、財布すら持っていませんでした。千円札を数枚ポケットに突っ込んでいた有り様です。メールも携帯もない時代でした。当然、メールの受理確認なんてする必要がありませんし、電話をかけることも受けることもありません。また、水分補給などということも当時は全く頭にありませんでした。何かに執われることもなく、別段、気にかけることもなく、今思えば、自由な開放感の中に身を任せていた感があります。

 今日は、さすがに財布はポケットに入れていますが、それ以外は何も持っていません。手ぶらです。身軽なだけではありません。大げさかもしれませんが、不思議と心のあり様までもが違って、見る景色が異なってきます。いつもの景色が、軽やかに清々しく見えてきます。学生のころは、自由な時間がふんだんとあり、縛られない視点で、このように世界が見えていたのでしょうか。

 色々なものを抱え込んでしまいました。生きてきた中での様々な思いやしがらみが体に染み付いてしまったみたいです。功名心であり、物欲であり、嫉妬心でもあり、不安や恐れ、後悔の念も尽きません。できることなら、それらを一枚一枚はがし取っていきたいものです。自由な気持ち、自由なものの見方、そして教えにもある真っ新な裸の自分に、少しでも近づければと思っています。放下着(ほうげじゃく;何もかも捨てなさい)、今、自分に一番必要とされていることのように思われます。

20180401

2018年4月。春は、昨年と同じく、この句から始まります。
「春風や 闘志いだきて 丘に立つ」(高浜虚子)

 女性のM先生に電話をかけました。「ご相談がありまして、お部屋にお伺いしてよろしいでしょうか?」「ええ、いいですよ。10時から打ち合わせがはいっていますので、それまででしたら」

 それで、急いでお部屋いくと、お留守でした。学生さんに聞くと、「先生は10時から打ち合わせです」という。だから来たのにと思って、事情を話すと、学生さん曰く、「打ち合わせは京都府庁です」という。「ええ、どういうこと?」何がなんだかわからなくなりました。

 部屋に戻って、しばらく唖然としていました。すると電話がかかってきて、「先生、待っているのに来ないから。何処かでたおれているのでは、と心配していました」「え? でも、先生は?」「Nです」

 「え、N先生?」。そうなんです。私はM先生に電話したつもりが、N先生に掛け間違えていたのです。電話番号の6と9を間違えていました。お二人とも女性で、お二方とも10時からの打ち合わせは、偶然でした。偶然が重なり、珍事が起るのでしょう。

 電話番号の6と9は、プッシュホンの上と下の隣同士で間違えやすいのも事実です。ただ、私にはもう一つ心当たりがありました。次男が小学生のとき、算数を教えていました。次男は、6と9を間違えるのです。計算の途中からいつの間にか6が9になったり、9が6になったりしてしまいます。問題集の裏表紙に赤ペンで大きく「6と9を間違えないように」と書き込みました。今、私の電話連絡簿の端には「6と9要注意」と小さく書かれています。

20180301

寒さも峠を超えたことと思います。今月末には桜が咲きます。
「菫(すみれ)程な 小さき人に 生まれたし」(夏目漱石)」

 最近、映画を見る機会は、ほとんどありません。でも、これまで見てきたなかでのお気に入りの映画はいくつかあります。古い洋画ばかりですが、思い起こしてみます。

 24年前になりますが、一年間、米国インディアナ大学で博士研究員として過ごしました。その年(1994年)に「トゥルーライズ(True Lies)」(アーノルド・シュワルツェネッガー主演)と「フォレスト・ガンプ/一期一会(Forrest Gump)」(トム・ハンクス主演)が公開されました。生後4ヶ月の長男と妻を日本に残してはじめての渡米でした。一人ぼっちで見入っていました。

 次男が中学生の冬休みに、「洋画を2つ見て感想を書きなさい」という宿題が出ていました。その時、私が、薦めたのはさらに古い映画で「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」(ジュリー・アンドリュース主演;1965年)と「ポケット一杯の幸せ(Pocketful of Miracles)」(グレン・フォード主演;1961年)でした。DVDを買って、家族みんなで見ました。

 もっと古い映画では「エデンの東(East of Eden)」(ジェームズ・ディーン主演;1955年)があがってきます。私が生まれる前に公開されています。それもそのはず、私の父と母が二人ではじめて見に行ったという映画です。母から、時々、その話を聞きます。私が妻とはじめて見た映画は「裏窓(Rear Window)」(ジェームズ・スチュアート主演;1954年)でした。これも負けずと古い映画です。

 若かりし日の父と母に思いを馳せます。二人はどのように自分たちの将来を思い描いていたのでしょうか。「エデンの東」は、二人の将来が、すでに消え去ったものとしてではなく、私と子供たちの存在に引き継がれていることを、優しく教えてくれます。J・ディーンの魅力とともに。

20180201

2月です。入試のシーズンになりました。まだまだ寒い日が続きます。しかし、春はすぐそこまで来ています。
「若草に はや風宿る 二月かな」(正岡子規)

 昔、昭和の時代には、「今、何時?」という場面で、皆が壁の時計を一斉に見る風景がありました。平成になり早や29年、今は各自が個々のスマホを覗き込む時代です。

 会議室の壁には時計がかけられています。その時計は2分進んでいます。私は、たまに(極たまに)会議が始まる定刻ギリギリに会議室に駆け込むことがあります。遅れることはなかったかと思いますが、かなりのギリギリです。議長の先生が、私が席に着くのを待って、「それでは皆さんお揃いのようですので」と R&G アールアンドジー フェンダーレスキット【Tail Tidy】■ 1190 RC8 1190 RC8R、切り出します。その時、必ず、出席者の全員が一斉に壁の時計を見るのです。その時計では定刻よりすでに2分が過ぎています。皆さんの時計への視線には、何か含むところがあるのでしょうか。ギリギリですが、私は、遅刻はしていないのです。私は、いつも心の中で「この時計2分進んでいます」と叫んでいます。

 でも、このように皆さんが一斉に時計を見る風景が、私は好きです。どことなく昔の昭和の匂いがするからです。懐かしさを感じます。平成生まれがいない会議のメンバーが成し得る技なのでしょうか。私は、遅刻の無実を叫びつつも、皆さんの時計への視線が意味するところを真摯に受け止め、次回からは2分早く来ようと、いつも思っています。

20180101

 2018年、明けましておめでとうございます。寒さは、まだまだ、これから本番を迎えていくことと思います。しかし、冬至が過ぎ新年を迎えるなか、昼間の時間は少しずつ長くなっています。日差しにもどことなく明るさを感じます。
「元旦の歯をていねいに磨きけり」(日野草城)

 お正月休みに、デパートで傘を買いました。傘をデパートで買うのは、はじめてでした。店員さんが、「どうぞ、さしてみてください」と言います。傘をさすと、「鏡の前へ」と、言われました。傘を選ぶのに、姿見を使うことを知りませんでした。店員さんが、「お似合いです」と言います。姿見で、どこを確認するのか、その使い方がわかりません。「どのあたりが」と、姿見の見方を聞いてみました。少し間を置いて、「普段、黒いスーツをお召しの時は、黒の傘がよろしいかと」。スーツは着ていなかったので、姿見での見方はわかりません。

 色違いの青色の傘を見ていると、また「どうぞ、さしてみてください」、そして「お似合いです」と続きます。「どのあたりが」と聞くと、間を置いて、「ネクタイでは、青が勝負色。青の傘でもきっとお仕事がうまくいくと思います」。姿見の見方は教えてくれません。今度は、緑。「お似合いです」。少し迷いましたが、もう一度「どのあたりが」と聞きました。「明るい色は、夜でも目立つので、ドライバーにも見えやすく、安全です」。似合うか似合わないか、姿見を通しての判断は、説明が難しいことのようです。最後の色違い、ネービー。姿見の前で、「お似合いです」、「どのあたりが」。「無難な色です」。少しホッとする答えでした。しかし、姿見の見方は、依然、むずかしい。

 ネービーに決めて、レジで支払いをしていると、店員さんが、「お客様は、学校関係のお仕事のようにお見受けしますが」と聞いてきます。あたっているので、止せばいいのに、また「どのあたりが」と聞きました。店員さんは、一人うなずきながら小さく笑って、今度は答えてはくれませんでした。

 外に出て、曇り空のなか雨は降っていなっかたのですが、真新しい傘をさして、ショーウィンドウの前に立ってみました。傘を上下したり、少し横を向いたりして、ウィンドウに映る自分の姿を見ています。ふと、姿見はこのショーウィンドウのように使えばいいのだ、と思いました。実際、傘を気に入っている自分に「どのあたりが」と聞かれても返答に困ります。姿見の役割がわかってきたようです。そしてどの色でも似合うはずだとも思いました。普段コンビニで買うビニール傘を持ってショーウィンドウの前に立つことはありません。はじめてデパートで買った、私にとって、かなり上等の傘は、心ならずも私の気持ちを明るく弾ませ、似あうように見せてくれます。無難な色、ネービーでさえも、ショーウィンドウに目を向けさせています。

 傘はよく失くします。もし新調せざるを得ないことになれば、今度は店員さんと姿見を通してショッピングの会話を楽しむことにしましょう。これまで不可解だった妻の長い買い物、繰り返される試着室への出入り、店員さんとの意味不明なおしゃべりにも、理解を示せそうな気がしてきました。「柔軟心(にゅうなんしん)」を思い、収穫のある一日をもって、2018年をスタートできたように感じています。

20171201

早や、12月。木の葉が、ひとつまたひとつと、土に落ちて、冬景色をつくっていきます。
「海に出て木枯帰るところなし」(山口誓子)

 もうすぐクリスマス。そして冬休みが来て、お正月を迎えます。12月は、慌ただしく、忙しい日々が続きます。そのような中にあっても、どこかに子供の頃のように年末年始の行事を楽しむ気持ちをもって、過ごしていきたいと思います。

 朝、母に電話をするのが日課になっています。今日、母が「次はいつ会えるでしょう」と聞いてきたので、「お正月」と答えると、少しおどけて「はやく、こいこい、お正月」と、歌っていました。

 母は、車椅子を使う生活を送っています。相応の寂しさを感じていると思います。しかし、どこかで楽しむ気持ちをもち続けているようです。お正月の歌を歌っておどけてみせます。家族に会えることを楽しみにしています。

 そう思うと、多事多端であっても、また後悔の念を覚えることがあるにしても、負けじと前向きに新年を迎えたいと思います。温かいお雑煮が、2018年、みんなの笑顔とともに待っています。

20171101

 早や11月、今年も残すところ2ヶ月を切りました。

 3日は祝日で、大学も休みになります。月曜の祝日は、授業日になることが多いので、平日が休みになるのは久しぶりです。どのように過ごそうか、少し考えてしまいます。妻を誘って映画を見に行くのもいいかもしれません。

 今朝、妻から、「3日は休みなの?」と聞かれ、「休み」と答えました。ここで、ふと、考えます。

 そういえば、ついこのあいだも同じことを聞かれたような気がします。思い出しながら、考えます。

 私が平日休みになること(家にいること)は、そんなに気がかりなことでしょうか。計3回も確認することでしょうか。また、考えます。

 考えた末、映画に誘うより留守番役をかってでる方が無難だ、という(おそらく)正解にたどり着きました。

「人間(夫)は考える葦である」;ブレーズ・パスカル(カズヒコ・ツカゴシ)

20171001

 涼しくなりました。シャワーだけで済ませることもあったお風呂も、ゆっくり湯船に入れるようになりました。虫の声も聞こえてきます。一日の疲れが癒えるひと時です。食事もより美味しく食べています。いい季節になりました。

 良いことばかり? お湯の中でお腹まわりをさわってみます---。すると、あれ、いつの間に---。お風呂上がりの体重計の数値が気になります---。そして、---、絶句!。

 今月は、職場での健康診断があります!

「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」(芭蕉)

20170901

 気づけば、ツクツクホウシの季節になっていました。田んぼの稲は、まだその葉を青々と茂らせています。でも、よく見ると、硬い実の稲穂が、少し垂れかけたそれらの葉の中で、一番大きな顔をして、まっすぐ上を向いて育っています。帰り道、定刻を走る電車の窓あかりが、夕暮れの中で、明るくくっきり、見えるようになりました。いつの間にか、日が短くなっています。秋です。

「うつくしや 障子の穴の 天の川」 (小林一茶)

20170801

 停留所「同志社大学理工学部」でバスを待ちます。わずかな木陰に自分の影を重ねて、夏の日差しを避けています。そのようなとき、木々の葉がサワサワと動き、どこからともなく、爽やかな風が、蝉の声の隙間を縫うようにして、立ち起こる瞬間があリます。風は、私の体に纏わりつくように、汗ばんだ肌や頬を優しく撫でながら、またどこかへと「すーっ」と消えていくのです。暑さの中、夏ならではの心地よさを感じる一瞬です。

「夏の河 赤き鉄鎖の はし浸る」 (山口誓子)

20170701

 雨があがり、さっとあたりに日が差してきました。傘をたたんで空を見上げると、雲のあい間には夏の青空が顔を覗かせています。あたかも、自分の出番を、今か今かというように待っている様子でした。

「万緑の 中や吾子(アコ)の歯 生え初(ソ)むる」(中村草田男)

20170601

 一年で最も日が長くなる季節になりました。雨の多い時季でもあります。

「さみだれや 大河を前に 家二軒」(蕪村)

20170501

 早や、

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、5月になりました。

 「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」(蕪村)

20170401

 春です!

 「春風や闘志いだきて丘に立つ」(虚子)

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