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投稿日: 2015年8月31日 作成者: Dr.椎木

よく世間では「あの人は腰が低い」という言葉を使います。腰が低いという意味を国語辞典で調べてみると「他人に対してへりくだっている。愛想が良い」と書かれています。相手からみればへりくだって、愛想が良いわけですから嫌な気持ちはしません。腰が低ければフェイスto フェイスのコミュニケーションがうまくいって事がスムーズに運びます。よって腰が低い人に成功者が多いというのも納得がいきます。では「必要な時に頭を下げられるか」について。腰が低いに対する対義語ではありませんが具体的に言えば、自分に非があった時に相手に「ごめんなさい」と言えるか。または相手に教えを被りたい時に「お願いします」と言えるかということになります。

なぜこの二つの言葉を取り上げたかというと、昔から自分はこの二つの行動が苦手だったからです。特に前者の「腰が低い」に関しては50歳になってもまだまだ未熟者です。いつも失敗して後から反省する始末で懲りない性分です。では後者の方は?と言いますと、50年も生きてくると流石にいろいろと自分一人の力ではどうしようもできないことが多々あります。その時には自分は全くのずぶの素人のわけですから、素直に頭を下げて教えをいただくことはよくありますし、まちがったことをやらかせば「ごめんんさい」と言うことも決して恥ずかしいことではなく当然言えます。しかしテレビやネットで外国人は自分に非があっても謝罪しないケースをよくみかけます。裁判沙汰になった時のことまで考えて不利にならないようにと聞いたことがあります AP ボンネットラインステッカー マット調 ホンダ N-BOX/N-BOXカスタム JF3/JF4 2017年09月~ 色グループ2 AP-CFMT2838。外交問題をみれば顕著で皆さんもわかるでしょう。戦後70年、日本はこれからもずっと過去と向き合って前へ進んでいかなければならない。隣国は謝罪せよと言い続けている。一方で領有権問題など自国に不利なことは決して非を認めない。3月にドイツ首相が来日してドイツは戦後にナチスと向き合い過去を清算したと主張していたが、それは正しい。しかし他の国際問題では決して非を認めないし一歩たりとも引かない。では日本はどうか?今までの日本外交は腰が低すぎる八方美人外交ではなかったかと思います。現在の安倍政権は全て良いとは思っていませんが、かつての政権よりはその点ではよいと評価しています。これからもいつも腰を低くするのではなく言わなければいけない時にははっきりと主張するけれども、誤った時には謙虚に頭を下げることのできる政権であってほしいと思います ブレンボ ブレーキパッド トヨタ アイシス ANM10G/ANM10W/ANM15G/ANM15W/ZGM11G/ZGM11W/ZGM15G/ZGM15W 04/09~ リア ブラックパッド P83 056。

それでは再び自分に焦点を当ててみます。腰が低いことは一般的に良いことで社会の調和としてはなくてはなりません 【データシステム/DataSystem】TV-KIT テレビキット スマートタイプ ホンダディーラーオプションナビ VXH-128VF などに対応 品番:HTV322S。しかしいつもそうでよいか?それはよくない。しかし今の自分はまだまだ未熟者でその域まで達していない。よってどんな状況下においても冷静沈着に必要な場合には相手に対してへりくだれる行動を身に着けなければいけないと思います。とても大切で自分にとっては大きなテーマです。次に頭を下げること、これはある程度できていると思っていますが、まだまだ不十分かもしれません。人と人が付き合っていくには、今以上に謙虚な気持ちをもたなければなりません。

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高校同窓会は4年ぶり

投稿日: 2015年8月24日 作成者: Dr.椎木

4年ぶりに高校の同窓会がお盆に開かれました。高校は中学や大学時代と比較して自分にとっては一番縁遠い存在です。なぜなら中学ではクラブ活動をしていましたが、高校では帰宅部でクラブに所属していなかったからです。そんな理由もあり出席しても同じクラスの友人くらいしか知りませんのでいつも行く前はとても緊張してしまいます。行けばそんな不安なんてすぐに吹っ飛んでしまうのですが。そのようにあまり記憶の少ない高校時代ですが、その短い3年間でも少しの間だけは高校生活を謳歌させていただいた一瞬が存在するのです。それは高校3年の夏休みを終えてのたったの3週間ばかりですが、自分の中では高校3年間の青春を全て燃えつくした期間がありました。運動会と文化祭です。当時の私はそのような催しに積極的に参加するタイプではありませんでした。しかしわが母校は高校3年のその一瞬だけはクラスが一丸となってクラスマッチのように燃え上がることができるのです。もう34年近く前のことですが、ちょうど今頃の残暑厳しい夏で今でもその時だけは鮮明に記憶が残っているのです。

暑い日曜日に運動会のためのアーチ、それは高さが5m程度の大きなキャラクター人形を作るのです。我々紅組は確かNHKのキャラクターでした。その他の色はアニメのあられちゃんなどを作っていました。額は汗だくになりながら頑張りました。最初はばからしいと思っていた私ですがのめりこむまでに時間はそんなにかかりませんでした。そして当日本番でも大いに盛り上がりました。その後の文化祭のクラス対抗合唱コンクールではうちのクラスは男子クラスで相当不利だったのですが、合唱部員が何人もいて彼らの指導を仰ぎながら必死で練習して優勝したのは奇跡に近かったように思えます。ほんの一瞬に打ちあがった花火のようですが、私にとっては十分すぎるほどの時間でした。そんな一瞬の思い出があるからこそ、今でも高校の同窓会があれば出席するのかもしれません。もしその一瞬すらなかったらその3年間は空白となり記憶はそこだけが抜けていたことでしょう。そういう意味では当時のあまり学校行事に参加することを不得意としていた我々まで一緒にがんばろうと手を差し伸べてくれたクラスメートに感謝しているのです。

4年ぶりの同窓会。しかし高校卒業以来今回も会いたくても会えなかったクラスメートもいます。34年ぶりに会えた友人もいます。会えば現在、過去、未来という時の空間を行ったり来たりして当時の記憶と現在の姿を結びつけようとします。それが同窓会の楽しみでもあるわけです。それこそ一夜限りの線香花火のようでもあり、翌日の朝には何事もなかったようにいつもの現在の自分に引き戻されます。そして昨夜の夢物語がどこまでが現実でどこまでが夢だったのかという境界線も翌朝にははっきりしません。それでもまた今日という新しい現在の自分の世界の再スタートのために、その夢物語は私の背中を優しく押してくれるのです。「この地上のどこかで皆がんばっているのだからお前もがんばれ」と自分に優しく語りかけてくれるのです。

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やっぱり二代目は秀忠が好き?

投稿日: 2015年8月17日 作成者: Dr.椎木

昨年私は50歳になりました。若い頃の自分から見れば50歳の自分はどうなっているだろうなんてことなど考えたこともありませんでした。50歳とはただただ果てしなく遥か彼方

の川岸の向こうであったことだけはまちがいありません。そして人生をマラソンに喩えれば折り返し地点を通過して残りの距離の方が短くなってくると「なぜ医師になったのだろうか?」とふと考えることが多くなりました。「親父の背中を見て成長した当時の自分がどうして医師になりたいと思ったのか?」と自問自答してもはっきりとした答えを思い出せません。ただ50歳を過ぎるにあたって何となくわかってきたこと、それは消去法の人生もりっぱな積極的選択ではないかということです。当時の自分が医学部に行こうと決断したのが高校2年の秋でしたが、その当時は理系が得意で親父の背中を見て医師という職業も悪くはないかなくらいの気持ちだったのかもしれません。周囲からは決められたレールに乗るであろう期待が重荷になった時代もありました。よく病める人を助けたいから医師になるという言葉を聞きます。それはそれでりっぱなことに違いありませんが、皆が皆そうとは限りません。そこでいつも思い出すのが中学高校の日本史で江戸幕府を開いたのは一代将軍家康です。これは常識であり教科書で次に登場するのが三代将軍家光なのです。二代将軍は秀忠と皆さんご存知でしたか?このように親父は初代院長で家康なのです。私は二代目で秀忠なわけです。家康が1603年から1605年の2年で征夷大将軍を秀忠に譲るのに対して秀忠がかの有名な三代将軍家光に譲るのは1623年です。なんと18年も将軍に君臨していたのです。秀忠は結構周囲のプレッシャーと戦いながらがんばったようです。世の中では常に背番号1と3は王と長島のように有名ですが、土井と黒江に挟まれた背番号2のショート上田を覚えている人は少ないものでそこが二代目の辛さでしょうか。

そして現在。ここまで走って来るとさすがにすごろくでいえば振り出しに戻って若返るという選択はあり得ず、スタート地点に戻れません。ドラえもんの机があれば人生をやり直すこともできるかもしれませんが、なかなかうまく事は運びません。今できる最善を尽くすことで精一杯です。それは現在の診療所をいかに経営的に安定させるかという経営者としての自分、自分の理想を追求する医師としての自分、そしてスタッフの管理やマネジメントしていく監督としての自分という三者が全て融合しなければうまく機能しないということを最近身に染みて感じています。昔の勤務医の頃は上司の先生の指示通りに医療を行って新しい知識や技術を吸収するだけで知的好奇心も満たされて楽しかったと今になってつくづく思います。泣き言を言っても時間は戻りませんので前へ進んで行くのみです。

そして未来。いずれ家光の時代になるかどうかは先の事で鬼が笑いそうですが、あと20年ばかりでお家騒動がやってくるかもしれません。自分が二代目のプレッシャーがあった分三代目のプレッシャーもかなりあるかもしれません 。秀忠は歴史の教科書にはあまり登場しませんが、やっぱり二代目は秀忠が好きです。

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便利になると見失ってしまうもの

投稿日: 2015年8月10日 作成者: Dr.椎木

世の中が便利になることは非常によいことですが、それによって失うものもあります。車は人間社会にとって現在ではなくてはならないものです。その引き換えに環境問題があります。そしてそのつけが結局人間の健康問題として深くのしかかってきます。きれいな空気や水、これらは人間が生きていく上で失ってはいけないもので仮に失えばそれは人類の存亡にさえ関わってきます。今トヨタが水素自動車ミライを発売しています。水素で走って水だけしか出ないなんて夢のような車です。江戸時代には飛脚が郵便物を運んでいました。そして黒船が襲来して産業革命があり、この100年で自転車から自動車、そして機関車からリニアモーター、そして飛行機までありとあらゆる乗り物は全て石油もしくはその発電された電気を利用しています。この水素自動車も水素を作るには必ず電気も必要なはずです。同じ化石燃料を燃やして環境破壊を引き起こすにしても、個々がそれぞれ勝手に破壊するのと一方で効率よく化石燃料で電気を作って個々にエネルギーを再配分する場合では後者がより環境には優しいのは明白です。その考え方がこの水素自動車に反映されているのだと思います。全てのエネルギーは地球が誕生してから水が作られ太陽というエネルギーが光合成により炭素を含んだ物質を作りました。その長年の合成と分解の果てに石油などの化石燃料になったわけですから、結局は地球という惑星から考えれば化石燃料を燃やして二酸化炭素が増えようが、水素を使って車を動かそうが地球という大きな目から見れば最も小さな分子や原子が結局のところ形を変えただけで消えてしまったり新たに生まれてきたものでもないわけです。それを考えればこれからの環境問題は地球の外からの地上全体に降り注ぐ無限の太陽エネルギーをいかに効率よく人類にとって使い勝手の良いエネルギーに変換していくかにつきるわけです。しかしそれには莫大な時間と費用がかかります。というよりも100年以上もしかしたら1000年の時が必要かもしれません 16インチ サマータイヤ セット【適応車種:スイフト(Z#83S)】WEDS ライツレー XS ブラックメタリックポリッシュ 6.0Jx16Bluearth AE01F 185/55R16。

エネルギー革命と同様に人間関係も同じことが言えそうです。いつまでも大切にしていた関係も一瞬の出来事でもろくも崩れ去り修復不可能になることも多いです。スマホやネットでとても便利な世の中になりましたが、一方でとても壊れやすい世の中にもなってしまいました。画面を通した文字だけのつながりと言いましょうか、感情を込める必要のない世界で相手の顔も見えない、ましてや本音なんて絶対に見えないガラス張りの冷たい仮想空間と表現した方がピタッとくるかもしれません。そのような便利な世の中に慣れてしまうこと自体が本当に正しいのだろうか?また人と人の絆でつないだ古き良き時代と比較して今を生き抜くことに不安を感じる自分はどこかおかしいのでしょうか?毎日毎日を必死で生きることは誰しも同じです。そして過ぎ行く時間のみが生まれてから死ぬまで期間の差こそありますが、唯一この世に生まれてきた生命全てに平等に与えられています。その他に平等なものはないかもしれません。そのような価値観だけはどんなに便利な世の中になっても見失ってはいけないと思っています。

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長崎を訪れて~その2~

投稿日: 2015年8月3日 作成者: Dr.椎木

では先週の在宅医療の続きです。最初に難しい話をさっさと終わらせて長崎旅情に移りたいと思っています。国が在宅医療を今後どんどん推し進めるには結局のところ高齢者が増えるから従来の医療施設ではパンクしてしまうから「自宅に帰ろうキャンペーン」なのです。そしてそのためには開業医は在宅で患者さんを看取ったり、診療して医療が必要なら病院に送らなければいけないゲートキーパーとしての役割が大切になります。すると従来の知識と技術以外にチームワーク連携と軽いフットワークが必要になるわけです。従来の医療システムでもかなりの負担が個々の医療関係者にかかっていますので、更に負担が増えるわけです。その日本の近い未来の在宅医療を友人たちはモデルケースとしてがんばって体現しているわけです オールシーズン 205/55R16 91H グッドイヤー ベクター 4シーズンズ ハイブリッド ライツレー ゼファイス エックス 6.5-16 タイヤホイール4本セット。簡単にできそうですが決して簡単にはできない。だからこそ友人にエールを送りたくて長崎での再会でもあったわけです。それでは堅い話はそこまでとして旅情に行きましょう。

初日は早速友人と一緒に地元のお寿司屋さんに連れて行ってもらいました。今回の訪問は台風11号が前日に中国地方を縦断しましたので少しでも西に向いていたら長崎行きもキャンセルの可能性もありましたが、運よく行くことができました。地元の瀬戸内海や出雲の日本海の海を見てきた者として長崎は東シナ海に面していて初めてです。海はつながっていてもまた違った海の顔が飛び出してくるのかとても楽しみにしていました。その夜は前回と同様に今までの医師になっての27年間をどのように生きてきたかをお互いに語り合う場にすぐに夜も更けていきました。翌朝は台風一過でもしかしたら今日は梅雨明け宣言?という晴天でした。まだ暑くなる前にひんやりとした空気が残っている早朝、いつものように一人で長崎という街角の散策から1日の始まりです。噂には聞いていたけれども本当に長崎という地は平地が少ないために階段状に街並みが天に昇っていくようです。平地の狭さでは周南地区も似たり寄ったりですが、流石に異国の地と言われて昔から有名な長崎です。風情が周南とは違います。また広島と並んで原爆投下された日本の象徴でもあるわけです。そんな思いを胸にしながら小高い丘に建っている宿泊した旅館から海を眺めながら坂道を下ってみました。結構な坂道で早朝とはいえすぐに汗びっしょりとなり、旅館に戻るときはさぞ大変だろうと思いながらの散策でした。その後は友人の診療所を見学していろいろとこれからの自分の医療に対する思いを再確認する場となりました。なかなか真似できないけれども何かしら変わるきっかけを自分は知らず知らずのうちに求めていたのかもしれません。

今、長崎から帰る途中の新幹線の中でこの旅情記を一気に書き上げたところです。梅雨明け宣言も発表されそうな7月の海の日を明日に控えた今回の1泊2日の短い長崎訪問でしたが、自分の中でもなんとなくよどんだ梅雨空から一気に真っ青な空に変わっていけそうな気がした2日間でした。写真は夏空にそびえる大浦天主堂です。

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